「人はこの世を去る時に何を後世に残すことができるのか」というテーマで哲学、文学、宗教、海外での知見などをベースに語られています。内村鑑三が当時の日本の最高峰の文系知識人であったことが伺い知れます。
120年も前の本ですが、迫ってくるものがあります。現代の若い人にもそのまますごく響く内容となっています。
働くことや学ぶこと、そして生きることそのものの意味を考えたい全ての人におすすめです。
この記事では、
1. どんな人に読んでもらいたいか
2. “Memento(記念品、かたみ)”について
3. お金について
4. 仕事、事業、起業家精神について
5. 思想について
6. 「高尚なる勇ましい生涯」とは
7. 最後に
について書いていきます。
どんな人に読んでもらいたいか
この書籍、「後世への最大遺物」は明治27年(西暦1894年)の7月に内村鑑三が箱根に開設されたキリスト教徒の夏期学校において内村鑑三が行った講話を文字に書き起こしたものです。内村鑑三は熱心なキリスト教信者であったので内容はキリスト教的な部分が多いのですが、哲学や海外での知見、国内外の書物を読んだ感想、歴史や哲学についての比重が大きく、宗教や人種の違いを超えて、人生の意味について問うているため、キリスト教信者でなかったり、キリスト教に詳しくない方でも読みやすいことが特徴です。
金を稼ぐこと、学問を学ぶこと、事業を起こすこと、そして生きることの最大の価値とは何なのか。
内村鑑三は宗教家でありましたが同時に哲学者、「幸せとは何か」を探求する人であったことがわかります。
また、アメリカでいかにしてphilanthropy(慈善)の活動が広まっていったか、その背景にはどのような精神があったのかについても詳しく紹介されています。内村鑑三は若い時にアメリカに留学し、海外で行われていた慈善の思想を最初に日本に持ち込んだ人の一人であったことにも気づきます。
学生、社会人、お金を稼ぐことの価値について考えたい方、起業家精神について考えたい方、教育について考えたい方、生き方に悩んでいる方、熱い話を聴いてスカッとしたい方、ボランティア活動や慈善事業に取り組んでいらっしゃる方など、人生の意味について考えたい全ての方におすすめです。
内村鑑三自身「はしがき」で「キリスト教と学生にかんすること多し、しかれどもまた多少一般の人生問題を論究せざるにあらず」と述べています。
“Memento(記念品、かたみ)”について
まず、この本には目次はないのですが、学生への挨拶から始まり、内村鑑三が青年時代にどのような思想に触れ志を持ち始めたのかということやキリスト教との出会い、どのように考え方が変わっていったかについて簡単な話があります。しかし、ここではそれについては大きくは取り上げられていません。
いきなり「後世への最大遺物」という演題への回答を簡潔に示します。いわく”Memento(記念物)”を残してこの世を去りたいと。「私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである。」と述べています。
Top Heavyと言って、一番重要なことを最初に言うという、話や文章の書き方が上手い人が使う方法ですね。ちなみに最初から内村鑑三がかなり話術に長けた人であったことも伺い知れる文章となっています。
お金について
人が「自分が後世に何を残せるか」を考えると、皆それぞれに違った答えがたくさん出てくると思います。それを内村鑑三自信が吟味して考え4つの項目に分けたのですが、その一つ目として「お金」が挙げられています。一般的に、特にキリスト教の社会では堂々とお金を稼ぐことを善と捉えることに抵抗があるのではないかと思います。しかし、ここでは内村鑑三はお金を稼ぐことを積極的に推奨しています。
自分のためだけに稼いだり、または自分の子息にお金を残すということではなく、社会に遺すためにお金を稼ぐことを推奨しているというところが大きなポイントです。お金を稼ぐことを賤しいという人は大抵お金に困っている人であるということも指摘されています。
内村鑑三のお金についての思想を最もよく表している部分の一部を引用します。
「しかしながらそれを一つにまとめて、そうして後世の人がこれを用いることができるように溜めて往かんとする欲望が諸君のうちにあるならば、私は私の満腔の同情をもって、イエス・キリストの御名によって、父なる神の御名によって、聖霊の御名によって、教会のために、国のために、世界のために、「君よ、金を溜めたまえ」というて、このことをその人に勧めるものです。
内村鑑三はここでフランスの商人が生涯をかけて溜めたお金で建てた孤児院の話をしています。良い目的のためにお金を稼ぎ使う人がいたことが当時のアメリカの隆盛の要因であることを留学中に感じたとも述べています。
仕事、事業、起業家精神について
お金に次いで、人がこの世を去る時に残し得るものの一つとして「事業」が挙げられています。お金を清い目的のために使うことの大切さについて述べられてきましたが、金よりも良い遺物とし「事業」を挙げています。国のため、社会のために金を溜める事業を起こす人が聴講生の中から出てきてもらいたいと述べています。また、教職などにつく人に対して決して実業家を見下すような考えを子供達に教えてはいけないと注意しています。実業家について、内村鑑三の考えが最も端的に表れている部分を引用します。
金をもって神と国とに事えようという清き考えを持つ青年がない。よく話に聴きまするかの紀ノ国屋門左衛門が百万両溜めて百万両使ってみようなどという賤しい考えを持たないで、百万両溜めて百万両神のために使ってみようというような実業家になりたい。そういう実業家が欲しい。
事業とは「金を使うこと」と定義し、金持ちと事業家はまた別のものであるとしています。今の時代でも、背景は異なりますが、働き方、特に起業や会社の経営について考えている人にとっては内村鑑三の考え方は大いに刺激になるのではないでしょうか。内村鑑三のような思想を持った人が今の時代を創ってきたとも言えるかもしれません。
思想について
人が後世に残せる3つ目のものとして「思想」を挙げています。前の二つお金を溜めることや事業を興すことにはその人の地位や環境などが大きく関わっているところがあり、そのようなものがない人が何を残せるのかという議論で3番目のものとして思想を挙げています。お金もなく、事業も持たない人でも思想を残すことはできる、と。著述をすること、すなわち文学、と教育について述べられています。2000年前に普通のユダヤ人が新約聖書を書き、それがやがては世界を変えることになったことが例として挙げられています。
山陽やジョン・ロックの思想についても述べられており、やはり内村鑑三が博識の人であったことが伺えます。ジョン・ロックは体も弱かったし社会的地位も低かったけど本を書いて思想を残したことにより世界を変えたことを例に出し、思想を遺すこということは大事業であると述べています。
「高尚なる勇ましい生涯」とは
ここまでお金、事業、思想・学問・教育について詳細な議論がされてきましたが、内村鑑三はこれらのいずれも人が遺すことができる「最大の遺物」ではないとしています。これらはどれも、誰もが遺すことができるものではないからです。お金、事業、思想を遺すにはその人のいる環境が大きく影響するからです。内村鑑三は誰にでも遺すことができる、最大の遺物として「高尚なる生涯」を挙げています。
しかして高尚なる勇ましい生涯とはなんであるかというと(中略)失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中ではなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことができる遺物ではないかと思う。
事業や学問、書籍など偉大な人が遺したものはありますが、そのどれよりもその人が送った生涯の方が大きな遺産であると述べています。
また、終盤に向けて話は佳境に入り何か目標を達成しようとした時、困難は必ずやってきます。お金がない、能力がない、学問がない、仲間がいない、誰かに反対される、などです。しかしそれらの種々の不都合、反対に打ち勝つことこそが大事業であるとしています。見事に現代の経営者や起業家に必要な精神が説明されています。
最後に
私がこの本を知ったのは、「嫌われる勇気」で一躍有名になったアドラー心理学の岸見一郎先生の講演会、質問会で私の質問に対して岸見一郎先生が内村鑑三の思想を紹介してくれたことがきっかけでした。私の質問は「アドラー心理学では人の価値は生産性で決まるのではない、とされていますが実際の社会では生産性で評価されるところがありますし、どうしてもそこからは逃れられないのではないでしょうか」という(自分自身で書いてみれば特に)やや批判的に聞こえる質問でした。
その答えとして、人生の価値を考えるために内村鑑三の思想を紹介して下さったことがきっかけでした。これを機に私はアドラー心理学に関する本を何度も読み返し、この内村鑑三の本にも出会いました。
この、自らが前向きに生きたという事実がその人が遺せる最大の遺物であるという考え方には本当に大きな影響を受けました。私自身が癌という病の治療後で社会復帰のために努力していた時期で、働くことや人生の意味について深く考えたいと思っていたタイミングでしたので、この時にこの本に出会えて本当に良かったと思います。
Kindleで無料で手に入りますので是非読んでみて下さい。