1月12日木曜午後10時から、昨年テレビドラマ化されることが公表され注目を集めていた「嫌われる勇気」の第1話が放送されました。
原作は2013年の12月に発売された同じタイトルの「嫌われる勇気」という本。これが人々の共感を得て売れに売れ、130万部を超える大ベストセラーになっているというのは、有名ではないでしょうか。なんせ本屋に行けばいつも平積みで置いてありますからね。発売から3年経った現在でも売れ続けているという驚異的な本です。
かくいう私も原作「嫌われる勇気」の大ファンで今まで本は10回以上も読み直し、通勤などの移動中にはオーディブックの嫌われる勇気を通勤中にずっと聞いていました。京都で行われる岸見一郎先生の講演会にも何回か行ったことがあります。
そして、このテレビドラマも非常に楽しみにしていて、録画予約もして観たのですが。。。
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ドラマの嫌われる勇気は面白くもないし、アドラー心理学の真髄を捉えられていない
はっきり言って、ドラマ版の「嫌われる勇気」は面白くありません。そして、本物のアドラー心理学とはかけ離れた内容になってしまっています。大雑把なあらすじとしては香里奈扮する女性刑事、庵堂蘭子が周囲の人の反応を気にせず、好き勝手に捜査していく、その蘭子についていく青山年雄(加藤シゲアキ)が、蘭子や大文字(椎名桔平)という大学教授とのやり取りの中でアドラー心理学を学んでいく、というものになっているのですが。。
まずこの庵堂蘭子というキャラクターの設定が「ナチュラルボーンアドラー」、つまり生まれながらにしてアドラー心理学を100%体現できる特性であるとされていますが、まずこの時点でアドラー心理学の主張と違いますよね。
岸見一郎先生は「幸せになる勇気」の中で、人は劣等性を抱えて生まれる。生まれた時は誰もが弱い存在で、人に世話をしてもらわずには生きていられない。だから、子供の生存戦略はどうしても「いかにすれば他者に愛されるか」にならざるを得ない。しかし、本当の幸せを獲得するには「他者を愛すること」に自分の意識を切り替えていかなければならない。これは無意識の行いではなく、自ら決断するものである。嫌われたり承認されないことを恐れず、他者を積極的に愛し信頼していくという態度を決めることこそが人生最大の選択である。幸福もその中にしかない。という旨の主張をされています。
つまり、生まれながらにしてアドラー心理学を身につけているというのはあり得ないわけですね。教育を受ける過程でそうなっていくことは考えられますが。。。
ドラマを分かりやすくするためにそういう設定にしたのだとは思いますが。。
幸せになる勇気 [ 岸見一郎 ] |
アドラー心理学の最大の鍵概念は共同体感覚
アドラー心理学の中で最大の概念とされているものに共同体感覚があります。そして、アドラー心理学では人生の目標を定めていて、それを①自立していること(私の解釈では、自己への執着を脱し他者への関心へ切り替えていること、自分の価値を他者からの評価ではなく自分で決めていること、自己中心性から脱却していること)と、②他者と調和して暮らせていることとしています。
自己中心性から抜け出し、他者への関心を寄せ、他者へ貢献していくことの中に幸福を見出しなさい。その過程で嫌われたり承認されなかったりなど傷つくこともあるし、第一対人関係の中で傷つかないなどあり得ない。だが幸せもその中にしかない。だから傷つくことを過度に恐れず、対人関係に踏み出し、信頼し愛する勇気を持ちなさい。というのがアドラー心理学の真髄なのです。
しかし、ドラマの中の庵堂蘭子は他者へ興味関心がなく、ただただ自分本位に振舞っている。アドラー心理学の重要概念である他者への関心、他者貢献や共同体感覚からはかけ離れたキャラクター。。。
確かにアドラー心理学では「他者の目を気にして生きるな」「お前の顔を気にしているのはお前だけ」という教えがあります。しかし、自分本意に行動して他人に迷惑をかける行動を積極的に行っていいとは言っていないのです。
これは「嫌われる勇気」を少しかじった人が陥りやすい誤解です。その誤解にフジテレビのテレビ局ごとはまってしまっている感じですね。アドラー心理学は誤解が容易で理解が難しい心理学である、と「幸せになる勇気」の中で語られています。
本当のアドラー心理学では他者と自分の課題を分けることは対人関係の入り口で、ゴールを共同体感覚と位置付けるのです。
嫌われる勇気 [ 岸見一郎 ] |
ドラマ 嫌われる勇気の間違っているところ
まず、ものの言い方です。正しいことを言えばいいというものではない。
「いつまで経っても変われないのは自分自身が変われないと決心しているからです。」
「私は誰かのために生きているわけではありません。私は他人の目を気にするという不自由な生き方を選択していません。私は他人にも自分自身にも嘘をつきたくないだけです。嘘が大嫌いなんです。」
確かに言っていることは正しいし、表面的には全部本の「嫌われる勇気」の言葉ではあります。
しかし、あたかも相手が間違っていているような言い方、求めてもいないアドバイスはアドラーは絶対にしないと思うのです。
また、セリフの内容もアドラー心理学とはかけ離れたものが出てきます。青山に対して「この仕事に向いていない」とはアドラー、少なくとも岸見先生なら絶対に言わないセリフではないでしょうか。
アドラー心理学では対人関係の問題は他者の課題に土足で踏み込むことにより起こるとし、介入するのではなく援助していくことを推奨しているのですから。。。
やはり対人関係のベースに尊敬、信頼と愛がないことが本物のアドラー心理学との最大の相違点です。
アドラー心理学での重要概念である「他者貢献」や「共同体感覚」はどこへやら。。。
これを作った人、本当にちゃんと「嫌われる勇気」や「幸せになる勇気」を始めとする岸見先生の著作を読みましたか?ちゃんと理解して作っていますか?
私としてはこれ以上間違ったアドラー心理学像がばら撒かれることが悲しくてなりません。
もう放送中止にしてくれないかな、、、とアドラー信奉者としては心から思います。
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初めまして。こんにちは!
私もこのドラマを観て違和感を覚えた一人です。同じ様に感じている人はいないかと検索していて、辿り着きました。
突然のコメント、失礼します。
私はアドラー心理学を本格的に学んだ経験はありません。
しかしながら、おこがましいですが、これまでの人生経験の中で学び考えてきた事と同意でしたのでアドラー心理学は心から共感し、実践してきたつもりです。
しかし、このドラマでは相手がどう感じるかを全く考慮しない、ただ好き勝手に人を傷つける不快にさせる演出が目立ちました。
主人公もそうですが、鑑識の若い女性なども、先輩鑑識の、奥さんに対する軽い愚痴(今更若作りして何がしたいのかねぇ〜)に対し、「〇〇さん以外の男性と恋がしたいんですよ」と言い返しました。男性鑑識の物言いは奥さんのことを必要以上に馬鹿にしたものではありませんでした。若い鑑識の女性は同性が馬鹿にされる事に敏感なのか、先輩鑑識が個人的に嫌いなのか知りませんが、ただただ嫌な女という印象を受けました。そして男性鑑識が不憫でした。奥さんを好きだから言える軽い皮肉なのに、奥さんの不倫をほのめかすような無責任な言葉は必要な演出なのでしょうか?
日常でもそういった人をよく目にします。
経験上、こういう人は人を傷つける物言いをしますが、その事を指摘されたり、自分が同じ様に言われたら人一倍傷つく面倒臭い人が多いです。(だからこっちがその人の分まで気を使う羽目になります。この気の使い方は自分を守ってるのではなく、相手を守ってるのですが…。このドラマではそれは通じなさそうです。)
ドラマの中でこれがアドラー心理学で、こう言った生き方が正しいのだという主張をされたら、世の中他者を尊重しない自分だけが善だと勘違いする人間だらけになってしまいます。
このドラマ、打ち切るか軌道修正するか、なんとかしてほしいです。
長々と失礼いたしました。
くう様
コメントありがとうございます。私もくう様と同じように感じます。確かにアドラー心理学では他者の課題と自分の課題を分けるという考え方があるのですが、それは無論他者を攻撃してもいいという考えではありません。アドラーはその先に他者信頼、他者貢献を掲げていますからね。。。
私もフジテレビは間違いを訂正してほしいものですね。それが出来なければどこが間違っているのかを明らかにした上で打ち切ってほしいものです。
まったく同感であり、ドラマ化の
話を知った昨年暮れから心配し予想していた通りの展開です。自分勝手で傲慢不遜なのがアドレリアンと誤解されますね。困った話しです。岸見先生どう思っておられますかね。
梅様
コメントありがとうございます。期待していただけに残念ですね。私も普段から嫌われる勇気を推奨していましたので、あれが嫌われる勇気だと誤解されるとたまったものではありません。フジテレビには間違っているところを訂正してほしいですね。岸見先生や古賀さんは内容には口出ししない姿勢をとっておられるのではないかと思いますが、心中は如何なものかと考えてしまいます。